「リトアニアで野球やるか・・・」
そんなことが頭に浮かび、気がついたらこの地に来ていた。
前知識はゼロだった。到着して初めて「首都はヴィルニウスと言うらしい」
「僕が気になっている野球チームはカウナスというところにあるらしい」
ということを知ったくらいだ。
とりあえず到着してから宿を取り、今後の予定なんかを決めていた。
そして、こんなときに役立つのがインターネット。
到着後すぐにインターネット屋に向かったのは言うまでもない。
ところがリトアニア、日本語環境が読めるネット屋が本当に少ない。
到着した当日に訪れたネット屋数軒は、1つのパソコンからも読めなかった。
さらに次の日、またもやネット屋を探し出しては日本語が読めるのかチェックする。
またダメだ、読めない。
「あぁ、ダメだ。なんか気分悪いし、疲れたな・・・
そうだ、何か食べよう!」
いつのまにか、パソコンの前に座ったまま4,5時間もいたので
お腹もすいて、なんとなくイライラしていた。
いい考えだと思い、ネット屋を出る。
すると店を出てすぐのところに、日本のキオスクのような小さな店があって
そこから何とも美味しそうな香りが漂ってきた。
「ケバブ屋か・・・ま、なんでもいいや」
とその店の正面に回り、僕は
「こんにちは、ケバブ1つください」と英語で注文した。
キオスクの中に入っていた店員が、僕を一瞥したあと
「OK!」と答える。そして僕は、ぼーっとしながら
彼がケバブを作るところを見ていた。
すると彼は、作業している手元のケバブに目をやりながら
おもむろに「クニハドコ?」と聞いてきた。
僕は聞き取れず「え?・・・」と固まってしまった。リトアニア語??
彼はまた「クニハドコ??」と聞いてくる。
何て言っているんだろう?きっと
「ケバブにたまねぎは入れるか?」とか「辛いソースと甘いソース、どっち?」
なんて僕に聞いているんだろう、でも何て言ってるのかわかんないよ・・・
すると彼は「ニホンノヒトダヨネ。シュッシンハドコ??」
と言ってくる。 あれ??この人、日本語しゃべってる???
「え?日本語???」
「ソウデス。ニホンノヒトデスヨネ?」
「はい」
「ヨカッター。コエカケテマチガッテタラ、カッコワルカッタヨー!」
ちなみに僕、向こうの流暢な日本語に対し、なぜか英語で答えていた。
それくらい意表をつかれた。
「はじめまして!私はマムと言います。横浜に7年住んでたんだよ。
なんでこの時期にカウナスに来たの?リトアニアは寒いでしょう??」
ものすごい流暢な日本語だった。僕はそれまでキューバにいたせいもあって
数ヶ月間、日本語を使う機会が全くなかった。
ストッパーが完全に壊れた僕は、マシンガンのように彼と日本語で会話をした。
「へ~、リトアニアに野球あるんだー?
日本で野球たくさん観てたから、また観たいなぁ」
「こんなに寒い時期にカウナスに来た日本人なんて初めて見たよ(笑)」
「あ、日本語が打てる店ね。ここから15分ほど歩いたところに・・・」
と、情報までくれた。さらにマムさんは
「こんなに寒いとラーメン食べたくなるんだよね~
伊勢佐木町に美味しいラーメン屋があってさ~」
「は!マムさん、伊勢佐木町なんて知ってるんですか!?」
「うん。横浜中央市場で働いてたからねぇー。懐かしいなぁ中央市場!
シオタさんって人に、本当にお世話になってさ~。
あ、外寒いでしょ!お店の中に入ってきなよ。こっち暖かいから!」
と言って、店員だけが入れる店内に僕を招き入れた。
それから僕は1時間ほどかけて彼の上京物語を聞いた。
イラン出身のマムさんは、空手を勉強するために日本に長期滞在したそうだ。
朝は2時から市場で仕事をして、仕事が終わるや道場に行き稽古、
そのあと語学学校に通い日本語の勉強、夜に帰宅。
そして朝2時に再び市場で仕事・・・
この3ヶ所を行き来する生活を7年続けたそうだ。
「もうねぇ~、仕事も稽古も学校も大変だったけど、毎日本当に楽しかったなぁ。
日本には良い思い出しかないよ。
給料日になると、必ずシオタさんがキャバクラ代おごってくれてさ~」
そしてマムさんは横浜中央市場で運命の出会いをする。
リトアニアから来ていた女性と知り合い交際、結婚する。
「シオタさんが、“マムにはもったいない美人の奥さん”って言うんだよねぇ。デヘへ☆」
と言って、鼻の下を伸ばした。ちなみにイラン出身のマムさんと
リトアニア出身の奥さんとの会話はいまでも日本語だそうだ。なんか、すごいな。
そしてマムさんは程なくして奥さんの国、リトアニアに行くことを決意した。
「いや~、リトアニアに行く前日にシオタさんと朝まで飲み明かしてさ~
シオタさん、泣くんだよね~。ワタシも涙出てさ~・・・
あの日はキャバクラ何軒行ったか覚えてないよ~」
リトアニアに到着したマムさんは、日本で貯めたお金を使ってレストランを開業するも
共同経営者に騙されてしまい、お金を全て持ち逃げされてしまったそうだ。
「お金は無くなっちゃったけど、日本で手にしたのはお金だけじゃないの。
ワタシは何時間でも仕事ができるんだよ!
それは日本で覚えたことで、本当に役立ってるよ。
リトアニアの人はみんなびっくりするけど、ワタシいつも15時間働いてるから。
日本の年末とお正月はもっと働いたよ。市場は忙しいからね。
でね、シオタさんといつも市場の食堂で“カツ定”食べたんだよ。
美味しかったなぁ、“カツ定”」
マムさん、レストラン経営に失敗したあと、ゼロから出直して
今ではカウナスのメインストリートに自分のケバブ屋を1軒持っている。
持ち逃げされてから、たった2年の話だ。
「あ、ヤギさん、音楽聴く??」
と言って、マムさんは僕の返答を待たずにラジカセにCDをセットした。
「このCD、シオタさんからもらったんだよねぇ」
爆音で流れだした音楽は、山本譲二。
♪一人前の男になりたい~
ただそれだけで~あとにした故郷~
友よ~覚えてるかい?語り合った夢の話を~
友よ 友よ 信じあったあの日のロマン~♪
良い歌だ。聴いていたら目頭が熱くなった。
マムさん。
僕が、リトアニアで初めてできた友人だ。