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2006年12 月27日 (水) カテゴリー: その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
~洗礼~
パリから、キューバ・ハバナに向かう飛行機に乗る。
しかしいつになってもハバナ行きの飛行機は飛ばない。
乗り継ぎの客を乗せるために、入り口を開けたまま時間待ち。
1時間、2時間と過ぎて行く・・・
乗客は文句1つ言わず、それぞれ思い思いの行動。
どれくらい待ったのか、感覚が麻痺しかけたときに
ゆっくりと飛行機が動いた。パリを離れる。
そしてハバナの空港に到着するなり、入国審査の長い行列。
2時間待たされる・・・
そして待つ間、4回の停電・・・
審査を終えて荷物置き場に・・・荷物がない。
荷物が届いていないことを証明してもらうための書類が手元にくるまで1時間・・・
そして係員の一言「荷物は明日か明後日か、明々後日に着くと思う」
予定よりどれだけ遅れたのだろうか?
ロビーで待ち合わせていたはずの人はもうとっくに帰ってしまっただろうと思うと
何食わぬ顔で入り口で待っていた。
時計を見ると、待ち合わせから6時間後を指していた。
空港を出ると、ムッとする湿気が全身にまとわりついた。
辺りには街灯が何本も立っているのに
灯っているのはそのうちのわずか数本だけ。
足元すらおぼつかなくなるほど薄暗い。
車に乗る。50年も前のアメリカ製。
エンストを繰り返し、道中ついに車は止まり
ボンネットを開ける運転手。
街灯すら灯らない暗闇の中で、手慣れた作業をテキパキとこなしているようだ。
暗闇に慣れていない人間には、単なる暗闇にしか映らない。
運転手は意気揚々と引き上げ、再び運転席へ。
きっと僕を送り届ける数十分後までは問題なくエンジンは動いてくれるだろう。
それで充分とでも言いたげなエンジン音と、鼻歌を歌う陽気な運転手。
この土地の流儀に従うしかなく
だからこそ異邦の彼方から訪れた来訪者が従いたくなる、どろんと流れる時間。
カリブの洗礼。
2006年12 月27日 (水) | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
~鳥肌立った~
初めての海外旅行をしたとき
泊まる宿も決めず、どの国に行きたいのかもわからず
全く訳もわからずパリに降り立った。
街に出た瞬間、あまりに自分が無謀なことをした気がして急に不安になった。
「どうしよう・・・」そう思いながら、とにかく歩いた。
立ち止まっていると変な人に声をかけられたり
不幸なことがむこうからやってきそうなそうな気がしたから。
とにかく、やたらビビッていた(笑)
そしてノートルダム寺院を不意に見てしまう。全身に鳥肌が走った。
なんか重い。威圧的。でかい。
「教科書に載ってた?」学校で歴史とかちゃんと勉強しておけばよかったな(笑)
あのとき立った鳥肌よりすごい立ちっぷりなんて
もう生きているうちには経験できないだろうと思っていた。
否。やっぱ世界は広いや☆
僕的にハバナの野球場、世界遺産認定。
人間は、頭皮まで鳥肌が立つって知ってた???
2006年12 月27日 (水) カテゴリー: その他 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
~キューバからメリークリスマス☆~
ハバナの日昼は30℃をはるかに越えて、シチリアの夏よりも暑い。
湿気が多く、少し歩くだけでも汗がだくだくと滴り落ちる。
木陰に吹く涼しい風が恋しい・・・
そんなカリブの小島にだってクリスマスはある。
どの家庭も、友人や親戚を招くために何日も前から掃除をして、ツリーを飾りつけ
そして普段は外国人くらいしか手にしないアルコールや食材を買いに
遠くのマーケットまで買い物に出る。
この国のある人は、その家で使われることの少ない食器セットを招待客に贈った。
『約700円』と書かれた値札をはがし、
タンスの奥に大事にしまわれてあった
使い古しの包装紙を持ち出し、食器セットを丁寧に包む。
そして、やはりタンスの奥からクリスマスカードも引っ張り出す。
どのカードもかなりの年代物で、どれも茶色く色あせている。
裏には『1950・USA』と示してあった。
そしてカードを開くと、一度すでに使われた形跡があって
そのメッセージ部分をきれいにはがしてある。
きっと誰かから贈られたカードなのだろう。
「ここ(はがされたメッセージ部分のページ)はどうしたの?」
その人は質問に答えるために、またタンスの奥から1冊のノートを取り出す。
そのノートには友人からの手紙、外国の料理が書かれた新聞の切り抜き
誕生日のメッセージカード、そしてクリスマスのメッセージ部分が書かれた紙などを
きれいに、大事に大事に、宝物を扱うように貼られてあった。
カードに向かって独り言のように
「この人にはこのカード。あの人にはこれがいいか・・・」
とつぶやき、そして1人ずつに丁寧にメッセージを書く。
笑顔のままペンを走らせている。本当に幸せそうだ。
きっとこれを贈られた相手は、このカードを大事にしまい
そしてまた機会が訪れたときに
自分へ宛てられたメッセージをはがし
愛する誰かのために、微笑みながらメッセージをしたためる。
ここは社会主義国。物は無い。
クリスマスプレゼントにX‐BOXやケイタイを子供に贈る習慣もなければ
ブランド物のバッグを恋人にプレゼントしない。
そして、みんなで食事をするテーブルの真ん中に燭台が1つ。
ロウソクに火をつけ、それを囲む。
普段、味気ない蛍光灯が当たり前なこの国の人々の顔を
一気に赤い光が、暖かくロマンティックに照らす。
物が無い代わりに、人を楽しませる心と方法が、ここにはある。
楽園・キューバから、メリークリスマス!!
2006年12 月27日 (水) カテゴリー: その他 | 個別ページ | コメント (3) | トラックバック (0)
明日からキューバ編です。
いつ更新できるのかわかりませんが(笑)
野球野球~☆
2006年12 月20日 (水) カテゴリー: イタリア・野球 | 個別ページ | コメント (9) | トラックバック (1)
久々の再会。チームメイトは皆、相変わらずで
「オマエなんで日本からエロDVD持って来てくれないんだよ!?」
「キューバかぁ~。キューバの女は美人だぞー」
「オレさぁ・・・オマエも知ってる彼女にフラれたんだよ・・・
1回浮気しただけなのに・・・」
などと、なんとも返答しづらい報告ばかりしてきやがる(笑)
ここを離れてわずか3ヶ月
シーズンオフで会う機会が減ったというくらいのタイムラグなので
あまり感慨らしいものが無かった。
けれどやっぱりこうして会うのは、ものすごく心が弾む。
くだらない話ばかりしているうちに
目の前にあったピザは食後の酒に変わり
時間だけがあっという間に過ぎていってしまった・・・
別れ際、みんなと抱擁する。
急に『来年は彼らと一緒にプレーしないかも。と言うか、しないだろうな』
と思っていたことを思い出す・・・
「ヤギ、いつパレルモに帰って来るんだよ?」
「・・・春かな・・・」
返事を濁した。涙が出そうだった。
「ヤギ、来年はナイターが増えるんだぜ!
で、土曜日の夜に試合するからたくさん観客が来るよ。
またオマエが観客に中指立てるの見たいなぁ~あははは☆」
何も言えなかった。
恨むほど暑かった真夏の試合を思い出す。
グラウンドはサッカー場にベースを置いただけで
観客は野球の『や』の字も知らず
「ニンジャ、走れ!ニンジャ!!わっはっは」と
応援なのかヤジなのかわからない言葉たち・・・
そんなことは一切かまわず必死の選手たち。
フォアボール、デッドボールを連発し
得点は25点をはじき出す、そのくせ息を呑むシーソーゲーム
乱闘は1試合に1回は必ず起こり
審判はクレームの度にジャッジを変え
そんな中で、何でここまで熱くなれるのか?と
当事者も疑問に思ってしまうほどの熱血試合のオンパレード・・・
当然のことだけれど、僕がいなくたって
チーム・パレルモは春から野球漬けになり
僕が守っていた守備は埋まり
負けてケンカしたり、勝って踊りまくったり
僕がここで経験していた全てをまたみんなやるんだと思う。
もう2度とあんな野球が出来ないのかと思うと
やっぱりちょっと寂しくなる・・・
気持ちの整理がつかないまま、みんなと別れた。
明日キューバに向かうそのことを必死に考えることにして
色んな気持ちを抑えることにした。振り払えそうにもないけど(笑)
野球をやっていて本当に良かったな☆
2006年12 月20日 (水) カテゴリー: イタリア・野球 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
パレルモに、こんな来方をしたくなかった・・・
僕には“パレルモのお母さん”と呼んでいる人がいる。
仕事仲間のお母さんで、週に何度も昼食や夕食を作ってもらっていた・・・
シチリアの人たちは聞く
「ヤギ、○○は食べたことはあるか?」「××は食べたことないだろう?」
「ううん、○○も××も食べたことあるよ。美味しいよね。」
「・・・でもな、俺の母ちゃんが作る○○や××のほうが美味いぜ☆」
負け惜しみのようなこの言葉を、男たちはおくびもせずに吐く。
でも、彼らの言っていることは当たっている。
たしかにシチリア料理は、どんな偉そうなレストランで食べるよりも
シチリアの家庭で作られる料理の方が美味しい。
それぞれの家庭にそれぞれの味。色々なところで食べさせてもらった。
そして、掛け値なしに“パレルモのお母さん”が作る料理が
シチリアで一番美味しかった。
いつもそれを口にできる僕は、本当にラッキーだった。
その“パレルモのお母さん”が亡くなった・・・
交通事故にまきこまれ、あっという間にいなくなってしまった。
そのためにここに来た。こんな渡航は本当に嫌だ・・・
後悔することがある。
僕が日本のことを話すたびに“パレルモのお母さん”は目を輝かせていた。
「いつか僕が東京に戻ったら、遊びに来てね」
と言うと
「何言ってるの!あなたはずっとパレルモにいるんでしょ!?
それに私はもう歳だから、旅行は・・・」
と言って、言葉を濁す。
食卓を囲むみんなで否定する。
「そんなこと言うなよー。
まだ70歳なんだから、日本だろうがどこにだって行けるよ!!!」
こんな発言に、僕はいつも笑顔で同調していた。
“パレルモのお母さん”は、僕が東京で撮った紅葉の写真をすごく気に入っていた。
「東京の木はどうしてこんな綺麗な色になるの?素晴らしいわ!!」
「京都という所はもっと凄いよ。それに京都という街は・・・」
このとき交わした会話が頭にこびりついて離れない。
京都や鎌倉や浅草、銀座、そして僕が生まれた地元・・・
連れて行きたい所なんて吐いて捨てるほどあったのに・・・
僕が9月にパレルモを離れるとき、“パレルモのお母さん”は
「いい?あなたの家はパレルモにもあるのよ。
何かあったらすぐに『帰って』来なさい。
いつでも私はあなたを待っているからね」
・・・もう帰るところ無くなっちゃったよ“お母さん”・・・
いまだに信じられない・・・
今にもどこかの街から小旅行を終えて
パレルモに帰ってくる気がしてならない。
いいや、パレルモに住む僕の仕事仲間のすぐ近くに、
パレルモ近郊に住む彼のお姉さんのすぐ近くにも、
それからイタリア北部に住むもう1人のお姉さんのすぐ近くにも、
そしてこれからキューバに渡る僕のすぐ近くにだってお母さんはいてくれる。
みんなの近くに“パレルモのお母さん”はいるんだと思う。
常にみんなのすぐそばに・・・
だから、僕はいつか絶対に京都の紅葉を観に行く。
2006年12 月19日 (火) カテゴリー: イタリア・シチリア | 個別ページ | コメント (5) | トラックバック (0)
またもや戻ってまいりました、シチリア島☆
ここを出るたびに
「次ここに戻るのは何年後になるのだろうか??」
なんて一大決心で飛び発っておきながらも
考えたらまだ2ヶ月ちょっとしか経たないうちに
もうこの地を踏んでいる・・・
そしてここに戻るとホッとしてしまう自分にも違和感アリ。
東京生まれのシティーボーイを自認しているつもりなのに☆
何にも変化は無い。
たかだか2ヶ月、そんな短期間で変われるくらいなら
元々こんな街並みになってないわな。
ただ、季節が変わってしまった。
これから南イタリア、特にシチリア旅行にでも行こうかと
考えている方がいらっしゃるのなら
冬は絶対に来ないほうがいい。
全てが寂しいから。街も人も、何もかも。
シチリア島の人々はみんな、ただ夏のために生きているといっても過言じゃないと思う。
夏、爆発的に行動するために、それ以外の季節は眠り続ける。現在、長い長い冬眠中。
まぁ、今回は1週間の滞在。
友人たちと再会して、食べまくって、飲みまくって・・・
キューバに飛ぶ心の準備を整えるにはちょうどいいのかも。
そういえばパレルモのメインストリートには
これみよがしに大きなクリスマスツリーが置かれている。
今年はキューバでクリスマスを過ごすことになるのか。
なんかイメージできないな・・・
2006年12 月15日 (金) カテゴリー: イタリア・シチリア | 個別ページ | コメント (11) | トラックバック (0)