~~経験上、アテにしていない人ほどアテになる~~
サンタクララ。
ここに来たもう一つの理由“知り合い”に会いに来た。
またこれが微妙な知り合いで
イタリア時代に2,3度会話をしただけの人。
僕が所属していたシチリアの野球チームは
女子ソフトボールチームも持っていて
その監督をしていたのが、その“知り合い”の彼だった。
ただ、母体が一緒と言っても、会う機会はほとんど無く
僕は彼の名前も知らなかったし
彼からしても「あ、あの日本人か」くらいの印象しかなかったと思う。
12月19日、イタリア最終日、明日いよいよキューバに入ろうとしていたころ
僕はシチリアのチームメイトたちと酒を飲んでいた。
そしてベロンベロンになった監督が
「おいヤギ!おまえキューバに知り合いいないだろ!?俺が紹介してやる☆」
と言って、僕のケイタイを奪い取り、いきなりキューバに電話しやがった。
完全に酒が全身に回って、上機嫌の監督は電話口で
「じゃ、ヤギがそっち行くからよろしく~☆」
と言って電話を僕に渡す。僕もおどおどしながら
「チャオ・・・、僕のこと覚えてる?日本人の・・・」
「・・・うん、覚えてるよ。1回オマエにノックしてやったことがある・・・」
「ああ、そうだね・・・で、キューバに行きたいんだけど・・・」
「こっちの宿とか決めてないのか?じゃ、紹介してやってもいいけど・・・」
「うん・・・助かるよ、ありがとう!!」
というような会話をし、電話を切る。
その一部始終を聞いていた監督は
『どうだ、オレはアテになる人間だろう!?』
とでも言いたげな表情で僕を見つめる。
オ、オマエに感謝すればいいのか??電話先のキューバ人は嫌がってなかったか!?
そしてキューバにやって来たわけだけれど
なんか彼のことをアテにしてもいいのかわからないし
かと言ってキューバのことなんてさっぱりわからないし
できれば現地の人にキューバ野球のことも聞きたかったし・・・
そんな“知り合い”の彼は、飛行機が6時間遅れたにもかかわらず
空港で僕を待っていてくれた。
空港から300キロも離れた小さな街から
わざわざ僕を迎えるためだけに来てくれた。
シチリアから電話をした25時間後のことだった。
彼と会った瞬間、どんなリアクションを取っていいのか判らなかったので
とりあえず大げさに、両手を大きく広げイタリア式の抱擁を決める。
そしてとにかく大声で笑っておいた。
向こうも、どうしていいのかわからなかったんだと思う、僕と全く同じことをしていた。
周りが見たら、これがほぼ初対面だとは誰も思うまい(笑)
彼の車に乗り、空港を出る。
意外なことに会話が弾んだ。
話のネタは、シチリアから電話をかけた監督の話。
監督と、この彼は親友で
「あいつは元気か!?
アイツは酔っ払ったときしかオレに電話して来ないんだよ!!」
「うん、元気だよ。
あの野郎、僕のときだけ1,2塁線にヒットエンドランしろとか
セーフティーバント3塁線に決めろとかサインしょっちゅう出すくせに
イタリア人選手には全然サイン出さねぇーの!
それにアウトカウントいつも間違えやがって!!」
「アイツはもうダメだ。ベネズエラに帰ってりゃいいんだ!アハハ☆」
そんなこんなで車内は盛り上がっていた。
彼の車はハバナ市内に入り、小さな宿屋の前に止まった。
彼の知り合いが経営している宿屋だった。値段も設備も申し分なかった。
そして彼は「じゃ、オレ帰るわ。すぐに寝ないと・・・」と言って、
すぐさま宿屋を後にして、300キロ先の自宅に帰って行った。
そんな彼に、僕は「親切なオッサンだな」と親近感を覚え
「野球観戦ついでに、彼に挨拶でもしに行くか。
お土産に酒でも持って・・・」
くらいの気持ちで彼に会いに行った。
そんな彼と共に過ごした20日間、信じられない日々の連続が僕に訪れる。
このように人の輪が広がることは奇跡に近いのかもしれないな。
野球というスポーツは世界的にマイナーだけど、
実はそれほどマイナーじゃなく、
もっと世界に誇ってもいいのかもしれない。
北京五輪で消えるのは惜しいな。
こんなに異世界の人間を繋げる力があるのにさ。
投稿情報: たかし | 2007年2 月13日 (火) 10:59